コブラの生き血で成功を祝うベトナムの夜

目次

    ドイモイをめぐる熾烈な争い

     成田空港を離陸してから6時間あまり。日本航空751便の機内に生温かい外気が流れ込んできたのを感じる頃、それまで優雅に振る舞っていた客室乗務員があわただしく動き始める。窓の外に目をやっても漆黒の闇が広がるだけだが、それだけでノイバイ空港への着陸の時が近づいてきたのがわかる。ベトナムへの旅も50回近くなると、そんな機内の空気の変化だけで、なんとなく故郷に帰って来たような懐かしい気分になるから不思議だ。

     やがて、航空機が無事に滑走路に降り、ボーディングブリッジが接続されると、客室乗務員がL1ドアの小窓越しに合図を送る。機体のドアが開けられた瞬間、湿気を帯びた独特の香りが一気に機内に広がり、私の背筋も自然と伸びる。すっかり慣れ親しんだベトナムの空気が、プロジェクトの交渉に向けて私の気持ちを切り替えるのだ。

     ベトナムは1986年、改革開放路線に舵を切った。中国と同様に市場経済の導入に踏み切り、「ドイモイ(刷新)」をスローガンに掲げたのだ。性急な社会主義化を否定し、資本主義的経営や個人経営を認め、外国からの投資も受け入れた結果、ベトナムは急激な経済成長を遂げることになった。

     EPIがベトナムのプロジェクトに関わり出したのは2000年代からだが、既に将来の成長を見込んだ各国が、プロジェクトの売り込みにしのぎを削っていた。私がベトナムを初めて訪れた10年ほど前は、北部のバクニン省に大規模な携帯電話工場を建設したサムスンなど韓国勢に勢いがあり、空港のバッゲージカルーセルにも高速道路の脇にもサムスンの広告が溢れていたのを覚えている。それに比べ、日本の企業は明らかに後れを取っていた。

     ドイモイを主導したのは、戦後、京都大学で学び、ハーバードの大学院に進んだ経済学者のグエン=スアン=オアインだった。ほかにも日本で学んだエリートはいるはずなのだが、そうした人脈をうまく生かせない日本が、私にはどうにも歯がゆい。そういう現状に思いを馳せるたび、私は「それなら、自分の力で日本からベトナムへの投資を押し上げてみせる」と心に誓う。

     今では日本もODAを軸にかなり巻き返しを図り、数多くの企業がベトナムに進出した。私が降り立ったノイバイ空港でも、2014年に完成した第2旅客ターミナルの新設はベトナム最大の建設会社と組んだ大成建設が担った。

     私もこの10年、ベトナムで火力発電所建設などインフラ整備のプロジェクトにいくつか関わってきた。しかし、今や世界は脱炭素へと向かい、ベトナム政府も2019年から再生可能エネルギーの開発や利用を促す政策を次々と打ち出している。このため最近は、再生可能エネルギーや脱炭素といった分野へのプロジェクトの売り込みで、各国の競争が激化している。もちろん、私たちEPIも負けるわけにはいかない。

    歴史と伝統を伝える白亜のホテル

     入国手続きを終え、空港に迎えに来た社用車に乗り込むと、紅河に架かるニャッタン橋(日越友好橋)を通り、ハノイ市内に向かう。その名の通り、日本のODAによって完成した橋で、三井住友建設などによって5年かけて建設された。これによって空港と市内は最短35分で結ばれた。

     ノイバイ空港にしろ、ニャッタン橋にしろ、これだけの大掛かりのプロジェクトを推進するには相当な苦労があったことだろう。プロジェクトの構想から完成するまでの年月に、今、私が取り組んでいるプロジェクトを重ね合わせてみると、彼らの苦労の一端がうかがわれる。そして、私の道程はまだ緒に就いたばかりなのだと思い知らされるのだ。

     日航のハノイ便は午後10時半に到着するので、橋を渡りハノイ市内に入ったころには、午前零時近い。夜も遅いので車やバイクの数も減っているが、それでも時折、けたたましくクラクションを鳴らしながらバイクが走り去る。

     やがて車はベトナムのフラッグシップホテルであるソフィテルレジェンド・メトロポールハノイの車寄せに滑り込んだ。まだベトナムがフランスの支配下にあった1901年に開業したホテルで、白亜のフレンチコロニアル様式の外観が歴史と文化を物語る。

    Sofitel Legend Metropole Hanoi (1/2)
    Sofitel Legend Metropole Hanoi (1/2) ロビー

     ホテルは、第二次世界大戦から独立戦争、ベトナム戦争といくつもの戦争を乗り越えてきた。ベトナム戦争中は各国の大使館代わりとなり外交の舞台となったというが、今や大型プロジェクトを奪い合う各国政府や企業の前線基地だ。時代が変わっても、シビアな国同士の駆け引きに疲れた戦士がつかの間の休息を取り、次の交渉に向けて戦略を巡らす場であることに変わりはない。

     遠くから聞こえるクラクションの音や、走り去る車のエンジン音に背を向け、重厚な扉から一歩ホテル内に足を踏み入れると、すっと音が消えて周囲が静寂に包まれる。聞こえるのは、私の靴音と無垢のフローリングがきしむ音だけだ。ロビーは決して広いとは言えないが、どこかしら伝統と歴史が感じられる。もちろん、百年前の姿がそのまま残っているわけではないのだが、それが世界中の要人や経済人らが訪れることで洗練されてきたホテルが持つ独特の雰囲気というものなのだろう。

    活気ある屋台を回り英気を養う

     ベトナムでビジネスに関わる者が苦労させられるのは、間違いなく、この国の独特な意思決定プロセスだ。特に政府が窓口になるだけに、交渉のパートナーとなる官僚はなかなか手の内を見せず、いつまでも結論を出そうとはしない。ちゃぶ台返しで交渉が振り出しに戻るということも決して珍しくはない。

     市場経済を取り入れたといっても、共産党独裁の社会主義国では、党の指導がないかぎり、迂闊に物事は決められない。政府の一役人に過ぎない彼らにしてみれば、党の結論が出るまでは、どっちつかずの態度を取り続けることが、自分の身分を保証するうえで最も重要なことなのだ。

     このため、官僚たちは自分たちにとって有利な条件を引き出すために、延々と交渉を続ける。しびれを切らしたこちらが思い切った条件を提示しても、彼らはそれを韓国やタイ、シンガポールなどとの交渉のテーブルに上げ「日本はこう言っている。お前たちはどうする。もっと良い条件を出せるのか」などと迫るといった具合だ。

     こうして、交渉と妥協、白紙撤回を何度か繰り返した後、これ以上、契約時期を引き延ばせないとなったときに、ようやく物事が動き始める。このため交渉には忍耐力だけでなく、一種の諦観や達観のようなものも必要になる。

     そんな理不尽な交渉でくじけそうになる私の心を支えてくれるのが、ベトナムの地元料理だ。打ち合わせ前の朝はハノイの「ブンチャー・ダックキム」でベトナム人や観光客に交じって、人気のブンチャーを味わう。

    Bun Cha Dac Kim (1/2) 店内はベトナム人、観光客で賑わう
    Bun Cha Dac Kim (2/2) ブンチャー

     ブンチャーとは、ほのかに甘い魚醤スープに米粉麺(ブン)や炒めた豚肉、香味野菜などを入れて食べる、いわばベトナム風つけ麺だ。テーブルの上に無造作に置かれたどんぶりの中には刻んだニンニクと唐辛子が入っていて、それをスープに混ぜると辛みがアクセントとなって一層おいしくなる。

     数多いブンチャーの店の中でも。ダックキムはハノイで一番おいしいと言われる老舗だが、店構えはいかにも街中の安食堂という風情で、いつも客でにぎわっている。こうした活気の中で地元名物を味わうことで、ベトナムのエネルギーそのものを取り込んだような気分になり、心を奮い立たせるのだ。

     ゆっくり朝食を取る時間がない日は、社用車のドライバーに教えてもらったとっておきの屋台でバインランを買い、交渉先までの車中で空腹を満たす。ついでにドライバーにも一個買っていくと、会話も弾み、距離感が一気に縮まるのもうれしい。

     とはいえ、朝のベトナムの通りはカオスのような渋滞に飲み込まれる。アジアではよく見られる風景だが、ベトナムでもバイクの数が非常に多い。特に朝夕のラッシュ時には、果てしなくバイクの群れが続き、車はその中をなんとか恐る恐る走り抜けるしかない。

     特に旧市街は信号がなく、車のすぐ横をバイクがクラクションを鳴らしながらすり抜けていく。ベトナム人はバイクの荷台に生きた豚でも鶏でも何でも乗せて移動するので、車内から見ていて、転倒するのではないかと冷や冷やすることもある。しかし、彼らは上手くバランスを取りながら走り去っていき、私が乗る車の運転手もまた、絶妙なハンドルさばきでバイクの間を縫っていく。毎朝のように繰り広げられる風景とはいえ、これにはただ感嘆するしかない。

     バインランは餅米粉で作った皮の中にあんを詰めて揚げた料理で、軽食にもなるし、おやつにもなる。一口にバインランの屋台と言っても、実に奥が深く、店によって、あんの中身や味付けが違う。一般的なのは、緑豆のあん入りで、皮の周りにゴマがまぶしてあるが、皮に砂糖をまぶしたり、緑豆あんの代わりにココナッツや春雨、玉ねぎなどを詰めたりとバラエティーも豊富だ。また、豚肉を詰めたバインランを甘いフィッシュスープにつけて食べる飲茶風のものもある。

     中には口に合わないものもあるが、店先にバイタクが並んでいたら、まず味に間違いはない。いろいろな屋台を回って、ビブグルマンに載っていない無名店を探し出すのも密かな楽しみになっている。

     打ち合わせを終えた後のラップアップには、旧市街のカフェがいい。日本ではあまり知られていないが、ベトナムはブラジルに次いでコーヒー豆の生産量が多い。日本で好まれるアラビカ種ではなくロブスタ種が主流で、苦みが強く、コクが深いのが特徴だ。

     旧市街にはハノイソーシャルクラブやカフェマイなど、観光客にも人気のカフェが多い。最近は、店先に数多くの花が飾られたバンコンカフェが人気だが、私がひいきにしているのは、そうしたカフェが並ぶ表通りから路地を入ったところにあるクアハンカフェだ。

     古く小さな店だが、店内はベトナムの絵画や小物で装飾され、かつてのハノイの風情をしのばせてくれる。そう聞くと、昔ながらのコーヒーを淹れる老主人の姿を想像してしまうかもしれないが、店をやっているのは若者たちで、客も若者が多い。トラディショナルな装飾もすべて、若者たちが手掛けているのだという。そうした自国の文化を守ろうと奮闘する若者を見ると、私もつい応援したくなり、自然と店に足が向く。

    Cua Hang Cafe (1/2) ベトナムのコーヒーはロブスタ種が主流で、苦みが強く、コクが深いのが特徴
    Cua Hang Cafe (2/2) 路地をひとつ入ったところにある穴場

     東京からクライアントを迎えたときは、メトロポールハノイ1階のル・ボリューのランチで歓迎する。ホテル同様、100年の歴史を持ち、世界各国の要人から愛されるフランス料理の名店だ。昼間はおしゃれなオープンカフェとなり、ときおりライブミュージックも開かれるので、私はホテルのチェックイン時に必ずライブの予定を確認する。エレガントに演出された空間で、まるでフランスにいるような気分になってビジネスの話ができるので重宝している。

     もちろん食事も絶品だが、客の前まで肉やロブスターなどの食材をカートで運び、目の前で調理してくれるのもうれしい。香ばしい香りが漂うだけで、どのような味なのかと楽しみになる。こうした客を飽きさせないエンターテインメント性も一流の証しだ。

    Le Beaulieu (1/2) フィッシュディスプレイ
    Le Beaulieu (2/2) ライブミュージック

    コブラの生き血を飲み干す祝いの宴

     党の意向をうかがい、なかなか結論を出そうとしないベトナムの官僚たちだが、実はベトナム人にはプライドの高い人が多い。それだけに、交渉ではパートナーを怒らせないようにしなければならない。それはビジネスの基本だといえば、その通りなのだが、のらりくらりと結論を引き延ばす役人に対して感情を押し殺すのは並大抵のことではない。苛立ちからついうっかり口を滑らせて役人を怒らせたため、プロジェクトが頓挫したなどという話はざらにある。

     幸い、私にはそうした経験はないが、必死に感情を抑えてようやく笑顔をつくっていることは多い。それだけに、粘り強く交渉を続ける精神力を保つには、嫌なことを忘れて気持ちをリセットさせる場所が欠かせない。それに、私は結局、ベトナムという国とベトナム人が大好きなのだ。ベトナムらしさに浸ることで、再び交渉に臨む力も湧いてくる。

     地方組織の役人との何度目かの交渉を終えてから数日経ったある日。「この先どうやって、あの優柔不断な役人を攻略しようか」とぼんやり考えていると、突然、交渉の代理人を務めるフィンさんから電話がかかってきた。
    「さっき人民委員会から承認がおりたよ」
     電話をとるなり、彼は早口でまくし立てる。交渉を続けてきた再生可能エネルギーのプロジェクトが正式に採択されたのだという。
    「これもあんたの努力の賜物だ。今日はお祝いしよう」

     地方を管轄する人民委員会の決定は、前触れもなく、あっけなく伝えられることが多い。まだ半信半疑だが、ベトナム人の彼が言うのだから間違いはないだろう。もし、何かまた問題が起これば、そのとき考えればいい。今は、彼に付き合って祝杯を挙げるのがベストな選択だろう。

     それから2時間後、彼から指定されたのはハノイ郊外の住宅街にある怪しげな一軒家風のレストランだった。家の門をくぐり中に入ると、高級そうな酒器や皿が並ぶ部屋に通された。

    「やあ、よく来てくれました」
     フィンさんは私の姿を認めるなり、満面の笑みを浮かべて両手を広げたが、私の目はすぐに、近くの青年が手にしている麻袋に釘付けとなった。何か生き物が中に入っているようだった。「今から珍しいものをお見せしますよ」。フィンさんは楽しそうに言った。

     麻袋から出てきたのは、2メートルほどの大きなコブラだった。シャーっと唸り声を上げながら威嚇するコブラに、思わず私は身をのけぞらせる。しかし、蛇遣いはこともなげにコブラの首を掴み、胴にナイフを突き立てた。

    コブラの生き血で祝杯をあげる
    コブラを使った料理

    「こうやって、生きたまま心臓をくり抜くんです」
     フィンさんは私の表情をうかがうようにしながら言った。心臓は体から切り離されてもドクドクと鼓動を打っている。そして、胴体もまた、くねくねと意味のない動きを続けていた。

     フィンさんは、新鮮な心臓をウォッカに入れると私に突き出す。「この生命力をもらうのです。それが明日からの活力になります」。

     これがベトナム流の祝い方であり、最高のもてなしなのだろう。ならば、私も覚悟を決めて、コブラの心臓と生き血を喜んで飲み干すしかない。現地流のもてなしを受けられるのは、何よりも光栄なことなのだから。それに、人民委員会の承認を受けたといっても、プロジェクトの完遂に向けてやらなければならないことは、まだ数多くある。フィンさんの言う通り、気力と活力がなければ先へは進めない。

     現地に徹底的に張り付き、プロジェクトの成功まで関係者と膝詰めで話し合うのがEPI流。コブラの心臓で乾杯するのも決して悪くはない。

    夜はHome Hanoiのバーの中庭で遅くまで語り合った

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