新エネルギーの新たなオアシスを求めて

目次

    変わりゆく中東の盟主

     夕暮れ時のニュージッダコーニッシュは、紅海からの海風が心地よい。レストランでの食事の前に散歩を楽しむ観光客や、涼を求めに来た地元の人たちで、夕方にしては結構な賑わいを見せている。沖合に目をやるとファハド王の噴水から空高く噴き上げられた海水が、オレンジ色の日の光を乱反射させていた。

     ファハド王の噴水は世界で最も高い噴水で、水を噴き上げる高さは海面260メートルとも312メートルともいわれる。「公式の高さくらい統一すればいいのに」と思うのは日本人くらいなのか、ここサウジアラビアでは、あまり気にする人はいない。

     噴水は、その名の通り第5代国王のファハドが40年前、ジッダ市に贈ったものだ。エッフェル塔よりも高く噴き上げる噴水というのは、さすがにスケールが大きく、王家の権威と財力の象徴のようにも思える。

     サウジアラビアは1932年に初代国王アブドルアジーズによって建国され、初代国王の死後は、30人以上いるという彼の息子たちによって代々統治されて来た。日本や欧米から見れば、前近代的な統治システムに思われるかもしれないが、そもそもサウジアラビアという国名は「サウード家のアラビア」という意味であり、王家が国を治めるのは当然のことなのだ。

     しかし、初代国王の息子たちも多くが亡くなり、権力は孫の世代に移ろうとしている。現国王サルマンのもとで、次期国王となる皇太子には国王の息子、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子に決まったようだ。ムハンマド皇太子は改革者として国民からの人気は高い。世界が脱炭素に向かう中、石油に依存する経済から脱却するため、「サウジビジョン2030」を発表し、石油の代替エネルギーの開発や女性の活躍の場の拡大、エンタテイメントの振興などを打ち出した。そこには、いつまでも、ただの原油産出国では国が立ち行かないという危機感がある。

     ムハンマド皇太子が力をつけていくに従い、サウジアラビアでのビジネスチャンスは広がっていった。しかし、「サウジビジョン2030」は2015年にマッキンゼーが作成した報告書が下敷きになっているといわれるなど、王家と米国系コンサルとの結びつきが強固なのも事実だ。

     そもそもサウジアラビアは親日的な国と言われ、日本のアニメや自動車、電子製品の人気も高い。中でもランドクルーザーは国民車と言ってもよく、商談でこの国を訪れた日本人は「所詮日本との商売は、原油とランクルの取引さ」と、自虐を込めて言うこともある。サウジアラビアの市民生活にはなじみの深い日本だが、私たちのコンサル業界に目を転じると、欧米の会社の勢いのほうが目に付くのが現実だ。

     結局、製造業としての日本ブランドは絶大な支持を得ていても、その強みをプロフェッショナルサービス分野では生かし切れていないということなのだろう。

     そうは言っても、私たちEPIはなんとか現地の人脈に入り込み、いくつかのプロジェクトを手掛けてきた。そして、世界的な脱炭素の流れの中でサウジアラビアが経済構造の転換を図る今こそ、日本が中東での存在感を高める好機ではないかと思っている。

    国益のために心血を注いだ先人たち

     私が宿泊しているパークハイアットは、ニュージッダコーニッシュの一角にある。ヨーロッパ風建築とアンダルシア風デザインが融合した洒落た客室が特徴で、バルコニーに立つと眼下に紅海が広がる。

     散歩からホテルに戻ると、私は海に面した庭園に向かう。今日は現地の代理人と情報交換をすることになっていた。庭園に出ると、いつものように多くの人がシーシャを楽しんでいる。シーシャは飲酒が禁止されているイスラム教徒にとって、大切な嗜好品の1つだ。日本語では水たばことも言うが、タバコの葉をいぶして出た煙を、いったん水をくぐらせた後に吸う。民族衣装のトーブ姿の男性がシーシャをくゆらせる光景は、いかにも中東的だ。

     代理人のオサマさんもトヨタのランドクルーザーを乗りまわす親日家の一人で、身に付けているトーブも日本製を愛用している。水に乏しい中東はもともと繊維産業に向いておらず、衣服のほとんどを輸入に頼っているのだが、中でも日本の東洋紡やシキボウの製品は人気が高い。彼とは、しばしばこうして一緒にシーシャを挟んで話をしている。

     サウジアラビアに限らず、中東には親日的な国が多いが、それは英仏による植民地支配の歴史や、原油取引で莫大な利益を上げた米資本への反発が背景にあるとされる。古くは、日露戦争で日本がロシアを打ち破ったとき、欧米の植民地政策やロシアの圧力に苦しんでいた中東の人々は、同じアジア人である日本の勝利を大いに喜び、勇気づけられた。その後も、中東での石油採掘の権益を独占しようと目論む欧米に対抗するため、彼らはしばしば日本人と手を組み、欧米諸国に一矢報いた。

     たとえば、イギリスの裏をかき、命がけでイランから石油を買い付けた出光佐三や、サウジアラビアやクウェートから油田開発の権利を手に入れた山下太郎がその代表だ。彼らに先見性と胆力があったのは間違いないが、中東側にも「日本と手を結ぶことで、我が物顔の欧米を慌てさせてやろう」という思惑があったことは容易に想像がつく。

     特にアラビア太郎との異名のあった山下は「日本も油田を確保しなければならない」と考え、日本が高度経済成長期に差し掛かった1957年、サウジアラビアとクウェートの中立地帯で開発利権を取得し、海底油田の開発に成功した。当時、「日の丸油田の発見」と世界中を驚かせた偉業だったが、このときはスエズ運河の国有化をめぐってエジプトと英仏・イスラエルが戦ったスエズ戦争の最中で、中東側には日本に採掘権を与えることで、米国や英仏をけん制する思惑があったとも言われている。

     山下が設立したアラビア石油はその後、日本を代表する企業へと成長したが、彼の死後、サウジアラビアから権益延長の見返りとして求められた大規模投資を実現できず、2000年にはサウジアラビアでの採掘権を失ってしまう。さらにクウェートでの採掘権も失い、今は富士石油と統合して、事実上消滅してしまった。

     現在の「サウジビジョン2030」を巡るプロジェクトでも、日本は欧米にかなり先行され、山下の偉業は昔話となってしまった。しかし、王族たちにも「欧米以外に取引先を広げたい」という思惑があるはずだ。日本としては、そこが狙い目で、欧米の争いの間隙をいかに突くかが戦略の基本線となる。

    砂漠の新都市ネオムを巡る駆け引き

     シーシャにはハーブやフルーツの香りと味がついており、初心者にはイチゴのような甘いフレーバーが好まれるようだ。私は甘い香りが少し苦手で、シナモンのようなスパイシーな香りが好みだ。

     サウジアラビアでのビジネスでは、いかに王族に近い人脈をつかむかがカギとなる。こうしてシーシャを一緒に吸いながら、雑談をするのも人脈を広げる重要な手掛かりだ。時には「俺は王族の友達の友達だ」などという怪しげな人物もよく目の前に現れるのだが、そうした人物も含めて、さまざまな細い糸を手繰り寄せるようにして、なんとか中枢に近い人物に辿り着くしかない。

     特にサウジアラビアでは、同じ話をしていても、誰が言っているのか、誰から聞かされたのかが重視される傾向がある。同じ話を聞かされても、その話を誰がしているのかによって、相手の態度も変わるということだ。つまり、サウジで大きなプロジェクトを成功させるには、有力者にその話を語ってもらえるかどうかが重要な鍵の1つ。それだけ人脈をつかむことが重要になる。

     人脈作りといえば、山下太郎にも有名なエピソードがある。資金が豊富な欧米資本に金の力で対抗しても構わないと考えた山下は、交渉のパートナーとなった王族の誕生日に十数台のキャデラックを贈ったという。その王族は当然ながら一夫多妻で、キャデラックの数は妻の数と同じだった。山下が自分の妻の数まで把握していることを知った彼は「面白いやつだ」と大層喜んだそうだ。

     こうして山下は交渉パートナーの懐に飛び込んで、採掘権を手にした。山下の死後、アラビア石油が採掘権を失ったのは、いざというときに頼りになる人脈をうまくつなぎとめられなかったのも要因の1つだったと言われている。

     私には山下のような豪胆なことはできないが、交渉パートナーとの信頼関係づくりだけは彼を見習わなければならないと肝に銘じている。

     この日のオサマさんとの会話では、ネオムも話題に上った。ネオムとは、サウジアラビア北部、ヨルダンとの国境南側の紅海沿いに建設される計画の新都市だ。総面積は約2万6千平方キロで、面積はベルギーの国土に匹敵し、海岸線は450キロに及ぶ。新都市といっても、単に新しい街をつくるというだけではない。ネオムには4つのエリアがあるが、中でも斬新で未来的なのが直線型のスマートシティ「ザ・ライン」だ。

     この都市は幅200メートルのエリアが170キロ続き、そこに高層の建物が一直線に建設される。道路はなく、人の移動手段は徒歩と終点間を20分で結ぶ高速鉄道のみとなる。都市で消費されるエネルギーはすべて再生可能エネルギーで賄うという。また、都市には900万人の住民が住むが、生活に必要な施設はすべて5分以内にアクセスできるとされている。

     ザ・ラインは2027年から順次完成していく計画で、総事業費は約70兆円とも言われる。ザ・ライン以外にもリゾートエリアやスポーツ競技場、海に浮かぶ巨大港湾都市などが整備される予定で、もちろん、欧米や中国、日本、韓国などによる熾烈なプロジェクトの争奪戦が繰り広げられている最中だ。

    社会の変革が新たなチャンスを生み出す

     交渉が思うように進まず頭を一度冷やしたいときは、ニュージッダコーニッシュから少し離れた旧市街地を歩いてみるのもいい。近代的なリゾート地を離れて歴史的な街並みに触れると、一度考えをリセットできるような気がする。

     旧市街「アル・バラド」は2014年、世界遺産に登録された。街を歩くと木彫りの美しい飾り窓があしらわれた建物や、白塗りのサンゴ石の建物など、独特のデザインの建物が目をひく。

     これらの歴史的な建物は18世紀から19世紀に建てられたもので、今も650棟残っている。現在、至るところで建物の修復工事が行われているが、これもサウジ2030のプランの1つに数えられる。15年かけて、かつての街並みを復元し、世界中の観光客を呼び込もうというわけだ。

     旧市街には庶民的なレストランや菓子店が多く、料理のにおいが漂う。私のお気に入りは伝統的な炊き込みご飯の「カプサ」で、以前ふらりと入った大衆食堂で食べて以来、やみつきとなった。トマトと香辛料、羊肉が使われ、香辛料の香りとトマトの酸味が食欲を刺激する。なぜか無性に食べたくなったが、夕食には少し早かったので、食事の前にスークをのぞいてみようと思った。

     ジッダはメッカに巡礼するイスラム教徒の寄港地として栄えた都市だ。その名残で、スークと呼ばれる古い市場が今も栄えている。やはり昼間は暑いので閑散としているが、夕方から人が集まり始め、活気が出てくる。

     通りには食料品や日用雑貨、洋服を売っている個人商店のほか、露店も並び、さまざまなものが売られている。中東では人気の高い金や銀の装飾品が並ぶ店や、色鮮やかな幾何学模様が施された絨毯が山積みにされた店もある。

     絨毯といっても品質や値段はさまざまで、外国人にはどれが良い品物なのか、見分けるのは難しい。そこで、買うときは店主にいろいろと尋ねることになるが、店主の中にも、原産国や由来、特徴などを丁寧に教えてくれる誠実な人や、少しでも高く売りつけようという魂胆が見え隠れする人もいて、最後は店主を信頼できるかどうかが決め手となる。

     中には、最初から法外な値札をつけ、そこから「半額にする。7割引きではどうだ」などと言う商人もいるようで、「アラブ商法」などという有難くない呼び名まである。もっともこれは、外国人相手だけではないようで、現地の人たちも店主と値引き交渉をしているのをよく見かける。

     絨毯が積み上げられた店の前を通ると、やはり店の中で店主と客が熱心に話し込んでいた。そんな2人の姿を見ていると、普段の交渉のやり取りが思い起こされて、不意に苦い笑いがこみあげてくる。先進的な未来都市のプロジェクトの話だといっても、実際の交渉現場といえば、このスークで繰り広げられる客と店主の値引き交渉とさほど変わらない。

     私たちは、プロジェクトにどんなに優れたメンバーが加わり、いかに素晴らしいものかを熱っぽく語り、交渉のパートナーは、どれほどの利益を自分たちにもたらすのか、投資額は妥当なのかと疑念を口にする。そうして、時折、対立しながらも話を続けていくうちに、落としどころが見つかっていくのだが、最後の最後の決め手は、互いの信頼感や誠実さだったりもする。

     スークとは、もともと遊牧民の交易の場が起源だという。点在するオアシスを頼りに遊牧民が暮らしていた不毛な大地で石油という新たなエネルギーが見つかり、サウジアラビアは瞬く間に世界のエネルギーの覇権を握った。

     しかし、一つの時代が永遠に続くことはない。今まさに「石油の世紀」が終わりを告げ、「カーボンニュートラルの世紀」を迎えつつある。その中で、サウジアラビアも変わろうとしている。それは、引き続きエネルギーの覇権を握り続けようとする試みでもある。

     エネルギーの覇権を求める国や人々は、遊牧民のようなものだと思う。どこかにあるに違いないオアシスを求めて、自分の信じる道を行く。遠くに見えるオアシスは蜃気楼であるかもしれないのに。

     最初にオアシスにたどりつくのは、誰なのか。それは神のみぞ知ることだ。しかし、その競争は確実に世界を変える。約100年前、石油の世紀の幕開けとなったのは中東で見つかった大油田だった。

     かつて、アラビア太郎こと山下が、石油利権を巡る英仏と中東の対立に乗じて石油利権をつかんだように、サウジアラビアの社会の変革は必ず日本にもチャンスをもたらすはずだ。後はその機会を生かせるかどうかだけ。そんな確信が、今の私にはある。

    My EPI

    水素、太陽光、風力、マイクログリッドなどの市場から技術、事業戦略まで一気通貫で俯瞰できる業界分析レポートを、「My EPI」への会員登録でご覧いただけます。

    レポート概要

    • 市場動向
    • 技術
    • 収益モデル
    • 事業戦略への示唆